男らしさとか女らしさとか言うけど、「らしさ」って何なん?
セクシュアルマイノリティとかジェンダーについて考えるとき、必ずと言っていいほど「男らしさ」「女らしさ」って何だ?という問いが堂々巡りする。
この前、岩手大学ECLさん主催のイベントに参加したときのディスカッションで「これはみんなで考えたい…!」っていうトピックがあったのでそれについて書いてみます。
イベントの中で、ある参加者さんが「社会から求められる男らしさ女らしさによって生きづらさが生じる。そもそも男らしさ女らしさって必要なんでしょうか?」と問題提起してくれました。
「そう!わたしも同じこと考えてた!」って言いたかったけど時間が足りなくて話せなかったので思いの丈をここに投下します(笑)
「男らしさ」「女らしさ」と聞いてみなさんはどんなことをイメージしますか?
私は、例えば、男は恋愛でリードしたり力強く精神的にタフである、女は家庭的で積極的に家事をする、というイメージが挙げられると思います。
この場合の「らしさ」というのは「この性別の人はこうであるべき!」みたいな社会の中で理想とされる枠組みのようなものだと感じます。
我々はその無意識のうちに「枠組みにはまらなきゃ」と思うから生きづらさを感じる。息苦しくなる。
でも一方で「それは男らしくないよね」と言ってしまったり、無意識のうちに他人を枠組みに押し込めようとしてしまうこともある。
私は時々、MtFのトランスジェンダーの方の言葉を思い出します。
彼女は「小さいときは男らしくしなさいと言われるのが嫌だった。ずっと男らしさ女らしさって何だろうって思ってた。矛盾しているようだけど、今はもっと女らしくなりたいって思う。」と言っていました。
私はこう思います。
「男らしさ」「女らしさ」という概念はあっていい。
個人の意思とは関係なく社会から一律に求められることによって息苦しさを感じている。
どんなことを「らしさ」として表現するかは自分の意志で選び取っていいと思う。
だけど、一般的に認識されていなければそれは「らしさ」の表現としては受け取られない。
これもまた大いなる矛盾。
…結局「らしさ」って何なん?
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