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執筆者の写真だーやま

大人が閉ざすものと開くもの

世間一般では「性の話はタブー」「人前でする話じゃない」と認識されていますよね。


あらゆることを面倒くさく考える思考回路を持つ(いや、幼児期のなぜなぜ期が終わっていないだけかもしれない)私はやはりこれに対しても疑問を持ちました。

「なんでそうなったのか?」と。

子どもの無知はまっさらな無知だと思います。つまり、純粋に知らない。


そのまっさらな無知に情報を加えていくのは周りの大人やメディア、子ども同士のやりとり。


初めは「性の話題は恥ずかしいもの」という意識は持っていないはずです。


その意識はどう作られていくのか?

自分の子どもの頃を思い返すと、お風呂上りに裸のままリビングに行くと「みっともない!」と母や祖母に叱られたり、学校で誰かが言っていた性的な単語を「どういう意味?」って聞いた時の両親が気まずそうにしていたり、テレビ番組で下ネタが流れたときに気まずい雰囲気が流れたり...なんてことがありました。


(2つ目のエピソードは、それが性的な単語だということを分かっていなかったのでその時は「あれ、なんか聞いちゃいけないことだったかな」と思ったぐらいで、後から気づくという感じですが。)

これは私の経験から感じることですが、子どもは周りの大人の反応に敏感です。


子どもは叱られたり、気まずそうな周りの大人の反応を見て「これは言っちゃいけないことなのかな。悪いことなのかな。」と学習するのではないか、と思います。


おそらく、日常の大人との関わりの中で「性の話題は恥ずかしいもの」という意識が作られていくのではないかという考えが実感としてあります。

成長するにつれて性に関心を持つのは自然なことですよね。身体は次の世代を残すための準備を始める。初経や精通を経験する。恋愛感情が生まれたりする。

性に関心を持つのは自然なことのはず。だけど、世間ではタブーとされている。

私は高校生の時に性に関する悩みを抱えていました。


でも、性の話題は恥ずかしいことだと思っていたから誰にも相談できなくて苦しかった。


母に相談しようとしたら「性の話は家庭に持ち込まないでほしい」と一蹴され話すら聞いてもらえなかった。


その悩みを抱えていること自体が良くないことなのかな、とも悩んでいました。

SHELLYさんの取材記事の中で目に留まった部分がありました。

「自分たちが子どもの頃を思い出してみてください。性のことについて「知りたい」という気持ちがあったでしょう? それってごく自然なことだと思いませんか?」

大人がこんな風に言ってくれたら子どもはどれだけ気持ちが楽になるだろうか、と思いました。


大人が子供の興味を肯定してくれたら。「自然なこと」だと認めてくれたら...。


性に関心を持っていることや自分の性欲と向き合うことに罪悪感を感じている人たちの気持ちは楽になるんじゃないかな、と。

「思春期の変わっていく体のこと、セックスや避妊のこと…。「親子間では性の話はタブー」という空気が一度できてしまうと、そういう大切なことについて話し合うハードルがグッと上がってしまいます。」(SHELLYインタビュー記事より)

性にはセンシティブな側面があることは確かです。


大切なことだからこそ本当に信頼できる親に話したい。私はそう思っていました。


だから尚更、否定されたことがショックで悲しかった。


でも性教育を勉強するほど「性について学ぶのは後ろめたいことじゃない」「性の知識を身に着けることは大事なことなんだ」と強く感じています。


なんとなく悩んでいた過去の自分が救われるような気がしています。

やはり、まだまだ今の社会では「性の話題はタブー」とされています。

発信しているとネガティブな言葉を向けられることもあるけど、

辛い思いをしていたり、一人で悩みを抱えていたりする人が一人でも減るように

「性は恥ずかしいものじゃない」と堂々と発信していきたいし、

「性に関心を持つのは自然なこと」と肯定できる大人になりたい。

と私は思う。

 

引用文献

HUFFPOST,2021,SHELLY「性教育は人権教育。女性も悪い?と思っていた私は姉の言葉で目が覚めた」



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